SSブログ
オートバイの旅 ブログトップ

オートバイの旅「玉井洋造の旅1979(1)」 [オートバイの旅]

玉井洋造の旅 1979  (1)    tamai yozo no tabi 1979  (1)

1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。

これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。

旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。

FH000177.jpg
訪問都市 北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オーストラリア

1976.08.03~1979.09.20

走行距離 約17万キロ

( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)

map 1970.JPG

走行ルート

FH000001.jpg

001 横浜からカナダのバンクーバーへ船で送りました。港の人たちが助けてくれました。

初めての海外ツーリングです。港からどっちへ走って良いのかも分からない。

FH000002.jpg

002 アラスカー向かいました。アラスカハイウェイを北上します。

FH000003.jpg

003 初めてのキャンプ。テントは簡単なツェルトです。

FH000004.jpg

004 アラスカハイウェイを北上する。森林が深くなりました。

FH000005.jpg

005 アメリカの青年たちもアラスカへ向かいます。バイクは750以上だった。私のは250でした。

FH000006.jpg

006 そして、ダートコースとなり、雨も降り始めました。初心者の私は辛かった。

FH000007.jpg

007 ALASKAに到着。

FH000008.jpg

008 アラスカでは、こんな角を持ったヘラジカが道路を横切りました。私を見て、小便をして、逃げていくのです。

FH000009.jpg

009ー何もない森林地帯の中で、突然このような郵便ポストを見つけることがあります。近くに家は見当たりませんでした。

FH000010.jpg

010ー寒くて、カッパを着て走っていました。この姿で走ることが多かった。

FH000011.jpg

011ーアラスカの森林。

FH000012.jpg

012ーアラスカで知り合った青年の家を訪ねました。しかし、その青年は、まだ旅から戻っていなかった。でも彼の両親と彼の兄弟が歓迎してくれた。ニューヨークの近くの町。

FH000013.jpg

013ーアメリカのニューヨークからサンフランシスコへへ向かいます。

FH000014.jpg

014ーこんな牧場風景を見たので感動しました。でもキャンプの場所がなかった。

FH000015.jpg

015ー女性二人のバイク野郎です。凄い感じでした。

FH000016.jpg

016ー道路際の教会で結婚式があり、私も写真を取らせてもらいました。その後、青年たちの結婚式にも参加しました。パーティは馬鹿騒ぎでした。

FH000017.jpg

017ーグランドキャニオンへ寄ってみました。日本にはない景観です。

FH000018.jpg

018ー私はキャンプ場所を求めて、この近くを彷徨いました。

FH000019.jpg

019ーこんな開放的な場所だから、キャンプ地は見付からない。公園ではキャンプは禁止されています。もちろん、キャンプ場はなりますが、私は行かなかった。

FH000020.jpg

020ー映画で見たのと同じ景観がありました。アリゾナ州

FH000021.jpg

021ーここでキャンプです。

FH000022.jpg

022ー自然公園の看板です。

FH000023.jpg

023ー非常に面白い景色の所でした。もちろん、ここでもキャンプ。

FH000024.jpg

024ー町で知り合った男性の家に招待されました。ちょうどハローウィーのお祭りの最中でした。一番下の子供たちです。子供たちが多くて、食事は台所へお盆を持って並びました。母親が料理を入れてくれます。

FH000025.jpg

025ー西海岸へ近づきました。しかし、ロッキー山脈越えは、すでに冬で寒かった。テントがバリバリに凍りました。

FH000026.jpg

026ーアメリカの西海岸。海の靄が激しく変化しました。

FH000027.jpg

027ーサンフランシスコの町中を走りました。

FH000028.jpg

028ーメキシコへ向かいます。バハカリフォルニア半島を南下しました。サボテンが多くて、楽しい。

FH000029.jpg

029ー樹のようなサボテンもありました。私のバイクが根元にあります。

FH000030.jpg

030ーメキシコに入ると景色が変わりました。これから世界旅行が始まることを強く感じました。

FH000031.jpg

031ー写真はメキシコからパナマに飛びます。北と南のアメリカ大陸をつなぐ道路がないのです。バイクはベネズェラへ空輸します。

この時の私は随分と汚れていたようで、彼らは私に同じTシャツをくれました。私は、この時もこの近くで寝ました。蚊が凄くて、寝袋に潜り込んで、汗をかきながら寝ました。

FH000032.jpg

032ー南アメリカの写真が殆どありません。ガソリンスタンドキャンプしている時に盗まれてしまいました。

 ー

FH000033.jpg

033ーアルゼンチンの南端のフェゴ島へ向かいます。

FH000034.jpg

034ーアルゼンチンのバイク仲間たちと一緒に過ごしました。

FH000035.jpg

035ーパラグアイのイグアスの滝を見に行きました。

FH000036.jpg

036ーバイクツーリストにとって、子供たちは最高の友達になります。いろいろと助けてもくれます。相談することもできます。キャンプの場所を尋ねることもできます。

FH000037.jpg

037ーアルゼンチンを南下しているときに、カーボーイたちが食事をしていのを見つけました。食べさせてもらいました。本当に旨い肉だった。ヘルメットの中がステーキの香で充満した。

FH000038.jpg

038ーウシュワイアの町では雪になってしまい。町の人に助けられました。その後ブエノスアイレスへ戻るときは、当然のように転倒です。

FH000039.jpg

039ーブラジルのサンパウロ。情熱的な人が多かった。

FH000040.jpg

040ーウルグアイの国境です。何もない。良いですね。

FH000041.jpg

041ーブラジルのサンパウロ。ここまで来ることができました。次はアフリカだ。

FH000042.jpg

042ーサンパウロ市内の走行写真を撮ってもらいました。

FH000043.jpg

043ーブラジルの首都、ブラジリアです。こんな感じの町は好きになれない。

FH000044.jpg

044ーどこかの町で休憩中。

FH000045.jpg

045ー南米の人たちは笑顔が良い。

※この旅の全ての写真を見たい方は、こちらのブログを見てください。これから連載します。

  http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14

*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。

  検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。

  http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/

*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)

立風書房 1981

連絡先   345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1       玉井洋造



共通テーマ:バイク

オートバイの旅「玉井洋造の旅1979(2)」 [オートバイの旅]

玉井洋造の旅 1979  (2)    tamai yozo no tabi 1979  (2)

1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。

これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。

旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。

写真は (1)  (2)  (3) と分けました。それぞれ約60枚の構成です。

FH000052.jpg

訪問都市 北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オーストラリア

1976.08.03~1979.09.20

走行距離 約17万キロ

( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)

FH000046.jpg

ー046 ブラジルから飛行機でセネガルに移動した。アフリカにはガソリンがあるのか。食料はあるのか。道路標識はあるのか。心配で一杯だった。

FH000048.jpg

ー048 セネガルとマリの国境には道路がなかった。鉄道はあるので、貨車で移動する。

フランス人の青年と一緒になった。私はバイクの横で、落ちないように座っていた。

FH000049.jpg

ー049 アフリカの人たちの笑顔はすてきだ。

FH000050.jpg

ー050 アフリカでもいつものようにキャンプした。村人との交流は十分にする。

FH000051.jpg

ー051 アフリカでも子供たちは私の友達だ。

FH000052.jpg

ー052 村でキャンプした。私のキャンプの邪魔をする子供たちはない。みんなすてきだ。出ないと、こんな笑顔は作れない。

 私は、この村でカビの生えてしまったパンをゴミ捨て場に捨てた。すると子供たちが拾い始めたので、それを見ていた私は非常に心が苦しかった。

FH000053.jpg

ー053 アフリカのセネガルのバオバブの大木だ。根が地上に出ているように見える。

FH000054.jpg

ー054 ここは警察の中庭。ここでキャンプした。こんなに私に親しくしてくれる子供たち。

FH000055.jpg

ー055 写真を撮るよと言うと、こんな笑顔が返ってきた。皆がにっこりしている。

FH000056.jpg

ー056 旅のコースはセネガル・マリ・コートジボアール・ガーナと進みました。村でキャンプするとき、どこでも歓迎してくれました。

FH000057.jpg

ー057 良く覚えていないのですが、こんな建物の中庭でもキャンプしています。私にとってテントの中が自分の空間なのです。暑くてもテントの中は落ち着ける。

FH000058.jpg

ー058 ガーナのオートバイの店では皆が迎えてくれました。

FH000059.jpg

ー059 ガーナから、カメルーン・中央アフリカへ向かいました。雨の日が多くなり、道路はこんな状態です。

FH000060.jpg

ー060 バイクのディスクブレーキは最高のものですが、泥を被ると全く制動は利きませんでした。走るのが辛い。

FH000061.jpg

ー061 村にある商店はほぼこんな感じでした。私は良くオイルサーディンの缶詰を買っていました。

FH000062.jpg

ー062 中央アフリカに入ると、もう前進が不可能になりました。このときは、通りかかった村の青年が押してくれました。彼は、全身泥まみれになりました。いつもはこんな写真を取る余裕はないのですが、このときは諦めていましたので、写真を撮っていました。

FH000063.jpg

ー063 道路は土道が続きます。幅員もこんなものでした。

FH000064.jpg

ー064 この年は石油危機で世界中でガソリンが不足しました。この先でのガソリンの入手が不安でした。

FH000065.jpg

ー065 中央アフリカの国道を東へ進みます。

FH000066.jpg

ー066 少し大きな町では市場の商品も豊かです。

FH000067.jpg

ー067 草原に大きな樹木があるとその下でキャンプがしたくなります。しかし、夕方、鳥たちが戻ってくるのです。鳥たちの睡眠前の騒音は凄いものです。

FH000068.jpg

ー068 アフリカでのロバはバイクのようなものです。みんな上手に乗りこなしている。

FH000070.jpg

ー070 子供たちが集まってくれました。こんなに上手に並んでくれとは言っていないのに上手に並んでくれました。年齢順に決まっているのかもしれない。

FH000071.jpg

ー071 中央アフリカにはガソリンがありません。更にザィールに入国して、ガソリンを見つけられるかどうか分かりません。トラックで引き返すことにしました。

FH000072.jpg

ー072 トラックの上から村の写真を撮りました。広場の市場の端では、女性が木琴を叩いていました。凄いリズムです。アフリカの生の音楽に出会えました。

FH000073.jpg

ー073 トラックの上での交流。子供の私のヘルメットをかぶせました。

FH000074.jpg

ー074 首都バンギに戻って、カメルーンを北上します。

FH000075.jpg

ー075 村で、こんな穀物の倉庫らしいものを見つけました。青年は自慢げにポーズをとってくれたのです。

FH000076.jpg

ー076 カメルーンを北上。山岳地帯にはこなん美しい景観がありました。そこでパンクをしてしまった。

FH000077.jpg

ー077 ナイジェリアの首都ラゴスは大きな町です。そこでサハラに向かう準備をしました。エンジンの調子が今ひとつ良くなのです。

FH000078.jpg

ー078 砂漠地帯に入っていきます。砂が深くなるとエアークリーナに砂が入り、エンジンの調子が悪くなります。そのたびにバイクからクリーナを取り出し、砂を払いのけます。

そんな時、誰も居ないところだと思っていると、人々が集まって来るのです。

FH000079.jpg

ー079 砂漠の入口の町。アガデスの郊外キャンプをしました。そのときのお隣さんです。お互いに物々交換をしました。私は魚の缶詰。こちらの人はヤギの乳をくれました。

FH000080.jpg

ー080 砂漠を前に緊張しています。。

FH000081.jpg

ー081 アガデスまでの途中も道路は砂道でした。こんな砂でも落ち着いて進めは゛前進するものです。

FH000082.jpg

ー082 この灯油缶はガソリンを入れて運ぶために持って行きます。

FH000083.jpg

ー083 砂漠の中のホテル。

FH000084.jpg

ー084 この日もこんな所でキャンプ。

FH000085.jpg

ー085 アガデスの町です。ガソリンを運んでくれるトラックを探しました。

FH000086.jpg

ー086 アルジェリアへ引き返すトラックの群れと一緒にサハラを越えます。

FH000087.jpg

ー087 最初は何とか付いて行くことができました。しかし、夜も走り続いたので私は付いていけなくなりました。バイクのライトでわだちを探しながら走るのは辛かった。

FH000088.jpg

ー088 砂漠の砂は硬い所もあれば、パウダーのような所もあります。

FH000089.jpg

ー089 このトラックたちと一緒に行動しました。

FH000090.jpg

ー090 トラックは大きなバルーンタイヤを履いています。

FH000091.jpg

ー091 ついつい砂に書いてしまった言葉。「サハラ」

FH000196.jpg

ー   トラック隊と分かれて、また自分人の旅が始まりました。砂のわだちは非常に広範囲に広がっていますので、いつの間にかわだちから外れてしまいます。この時もわだちを見失いました。心臓が一瞬、凍りつきます。

 幸いアルジェリアの兵隊さんらしい車に出会い。道を教えてもらいました。「あっちだ。」と言っていました。わだちは少し外れると、もう見えないのです。

FH000092.jpg

ー092 タマンラセット郊外の砂丘です。このオアシスで休憩しました。

FH000093.jpg

ー093 やはり、砂漠の中のオアシスはすばらしい。砂漠を越えてきたものにとって本当に夢の世界に思えた。

FH000095.jpg

ー095 このガルダイアの町も砂漠の中にあります。砂丘を越えると、突然この町が現れます。町が白く輝いていました。

FH000096.jpg

ー096 町の中まで入ってしまいました。オアシスに人々がいるだけでも魅力的です。私はすこし、人恋しくなっていました。

FH000097.jpg

ー097 アルジャリアの地中海の砂浜です。砂漠を越えて、見る海も非常に美しく感じます。

FH000098.jpg

ー098 アルジャリアのアトラス山脈を越えると世界は砂漠から緑の大地に変わります。

FH000099.jpg

ー099 地中海のこんな景色が私を歓迎してくれました。

FH000100.jpg

ー100 随分と衣類も傷んできました。

FH000101.jpg

ー101 アルジェリアで会った人。

FH000102.jpg

ー102 アルジェリアでは放牧の羊を追い払いながら進むことに慣れたころ、私は羊と衝突です。

 村人の協力で町の病院へ行きました。手首の骨折です。一ヵ月後に戻ってくれば、ギブスを外すと言われたのですが、行く所がないので、入院させてもらいました。

 一ヵ月間の病院生活。アルジェリアの素顔を見ることができました。もちろん、かわいい看護婦さんも居ました。

FH000103.jpg

ー103 バイクは10万キロを越えました。ヨーロッパの旅が始まりました。

ー 

FH000104.jpg

ー104 モロッコの山岳地帯です。

FH000105.jpg

ー105 フランスではアフリカで知り合った青年の家に行きました。

FH000106.jpg

ー106 カフェへ連れて行ってもらいました。

FH000107.jpg

ー107 フランスでは、yamahaの工場で整備をしてもらいました。

FH000108.jpg

ー108 フランスのセーヌ川。いいですね。

しかし、ヨーロッパで野宿をするのは、その場所を見つけるのが大変だった。

FH000109.jpg

ー109 イギリスの田舎道を走りました。

FH000110.jpg

ー110 デンマークからノルウェーに渡ります。

FH000111.jpg

ー111 バイクの青年と知り合います。

FH000112.jpg

ー112 ノルウェーの最北端の町です。カラフルだけど、非常に寂しい雰囲気。

FH000113.jpg

ー113 ドイツでは、森の中でキャンプをする事ができました。

FH000114.jpg

ー114 スイス・イタリア・ユーゴスラビアと通過していきます。

FH000115.jpg

ー115 もう、冬が近いことを感じて、急いで南下しています。

FH000116.jpg

ー116 ユーゴスラビアでは農家の人たちにお世話になりました。学校へも行きました。私は着るものがないので、彼らのものを借りました。

FH000117.jpg

ー117 こんなに子供たちが集まってしまった。

*2000枚の全ての写真を見たい方は、こちらのブログを見てください。

http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14

*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。

検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。

 http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/

*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)

立風書房 1981

連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1


 



共通テーマ:バイク

オートバイの旅「玉井洋造の旅1979(3)」 [オートバイの旅]

玉井洋造の旅 1979  (3)    tamai yozo no tabi 1979  (3)

1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。

これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。

旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。

写真は(1) (2) (3)と分けました。

FH000135.jpg
訪問都市 北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オーストラリア

1976.08.03~1979.09.20

走行距離 約17万キロ

( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)

map 1970.JPG

走行ルート

FH000118.jpg

ー118 トルコからイランへ向かいました。国境は意外と標高が高くて、雪になってしまいました。ドイツの青年と一緒です。エンジンの点火が悪いので、私が引っ張ってスタートします。

FH000119.jpg

ー119 もう少し早く南下するべきだと何度も思いました。このときはキャンプをしませんでした。

FH000120.jpg

ー120 イランに入ってもテヘラン近くまで、雪道が続きました。

 同じ状態で走行しているとキャブが凍り付いて、回転が下がらなくなります。泥除けの裏側にも雪が凍りつきました。

FH000121.jpg

ー121 イランのパンはおいしかった。私の主食はパンだけだったので、嬉しかった。

FH000122.jpg

ー122 安い宿はこんな感じでした。ドイツの青年です。

FH000123.jpg

ー123 イランの革命の隙間を潜りながらパキスタンへ向かいます。紛争が続くアフガニスタンは、とても入れる状態ではありませんでした。

FH000124.jpg

ー124 ペルシャの遺跡を感じるものが時々見られます。シラーズまで南下して、砂漠地帯を東へ向かいます。

FH000125.jpg

ー125 町で親子に会いました。

FH000126.jpg

ー126 イラン南部の高原地帯です。ここでキャンプ。でも隠れるものがない。

FH000127.jpg

ー127 道路際でキャンプです。遠くの方から人々の声が聞こえたのを覚えています。

FH000128.jpg

ー128 パキスタンに入りました。喫茶店です。紅茶を飲みます。時々、カレーも食べました。

FH000129.jpg

ー129 トラックの写真を撮りたいといったら、皆が集まってくれました。

FH000130.jpg

ー130 どこでも子供は、素敵だ。

FH000131.jpg

ー131 この人たちの家の庭でキャンプをしました。

FH000132.jpg

ー132 子供たちは私の邪魔をしないように見学してくれました。

FH000133.jpg

ー133 村でキャンプのとき、村長さんのような人が尋ねてきました。

FH000134.jpg

ー134 早朝のクエッタの町です。遠くに寺院が見えます。

多くの人が朝のトイレのために、水の入った壷をぶら下げて歩いています。

FH000135.jpg

ー135 こんな素敵な顔はどうしたら生まれるのでしょうか。私に話しかけてきた青年です。

FH000136.jpg

ー136 パキスタンで、ポリスのような人がバイクでやってきました。

FH000137.jpg

ー137 インドのタクシーです。

FH000138.jpg

ー138 街路の中央には寺院がある。バイクはこれ以上先へ進めませんでした。

FH000139.jpg

ー139 インドの町の夕焼け。

FH000140.jpg

ー140 インドのタジマハールの寺院へ行ってみました。

FH000141.jpg

ー141 インドでは、いたるところに寺院がありました。

FH000142.jpg

ー142 インドの少女たち。かわいいですね。

FH000143.jpg

ー143 インドでは、空き地などはありません。だから私は学校・工場・農家などの庭でキャンプをしました。時々、このような廃墟を見つけます。

FH000144.jpg

ー144 どこかの寺院の塔に登りました。

FH000145.jpg

ー145 地方の町で象に会いました。町中で見る象は大きいし、凄い。

FH000146.jpg

ー146 インドからネパールへ向かいます。

FH000147.jpg

ー147 途中でネパールの女性たちに出会い。写真を撮りました。

村では、私がわずかな薬を持ってるということで、多くの人たちが相談に来ました。

FH000148.jpg

ー148 ネパールにいるチベット族の女性です。

FH000149.jpg

ー149 カトマンズでは皆が集まってくれました。

FH000150.jpg

ー150 こなんユニークな塔を見つけました。

FH000151.jpg

ー151 立派な国の標識です。

FH000152.jpg

ー152 ネパールの国道。

FH000153.jpg

ー153 ネパールのポカラまで行きました。山が凄い。ここでキャンプしています。

FH000154.jpg

ー154 空き地があれば、キャンプをさせてもらう。

FH000155.jpg

ー155 ここはインドで、この日は、この怪しげな寺院でキャンプしました。夜遅くまで、付き合いました。

FH000156.jpg

ー156 インドには、ラクダも居ました。私のバイクの爆音で逃げていくことがありました。

FH000157.jpg

ー157 インドのカルカッタでの宿です。タイへ行く準備をしました。

FH000158.jpg

ー158 船はマドラスから出港しました。

FH000159.jpg

ー159 タイのプーケットへ向かいます。ロシアの客船でした。船は揺れました。苦しかった。でも、ご馳走を食べました。

FH000160.jpg

ー160 タイ、プーケットの町です。久しぶりに見る漢字の看板が印象的でした。

FH000161.jpg

ー161 マレー半島を北上します。

FH000162.jpg

ー162 タイのチェンマイへ行く途中。村でキャンプ。家の中で寝ることができました。皆が歓迎してくれたのです。

FH000163.jpg

ー163 シンガポールの宿の子供たち。

私はシンガポールから客船でオーストラリアへ向かいました。

FH000164.jpg

ー164 オーストラリアのパースです。上陸するときは、バイクを自分で洗いました。

FH000165.jpg

ー165 オーストラリアのトラックは、このようなトレーラ車です。バイクにとって迷惑です。

FH000166.jpg

ー166 キャンプの設置は、こんなふうに荷物を並べてから、テントを被せます。私のテントはツェルトといって、簡単なものでした。

FH000167.jpg

ー167 オーストラリア。ここも、ただ平坦な大地が延々と続きました。

FH000168.jpg

ー168 地元のナンバープレートを拾いました。

FH000169.jpg

ー169 パトカーには、カンガルーのマークが付いている。

FH000170.jpg

ー170 私の大事な装備です。ジーンの生地に孔を開け、サングラスを貼り付けました。

小石が顔に当たるのを防いでくれます。

FH000171.jpg

ー171 いつものキャンプの様子です。テントで日陰をつくり、暗くなるのを待ちます。

FH000172.jpg

ー172 オーストラリアの中央にある岩山。エアーズロック。絵葉書のように赤くなってくれました。

FH000173.jpg

ー173 オーストラリアの内陸は殆ど舗装はされていません。良く整備されているのですが、車は高速で走るので、路面は激しいコルゲーション状態です。とても走れない。

FH000174.jpg

ー174 ちょうど乾季が終わり、花が一斉に咲き始めました。美しい。

FH000175.jpg

ー175 こんな変わった花もあります。目玉のようにも見えます。

FH000176.jpg

ー176 アー美しい。でも今だけ。その後はただのブッシュです。

FH000177.jpg

ー177 道路際まで花で埋まります。

FH000178.jpg

ー178 家はトラックで運ぶそうです。

FH000179.jpg

ー179 キャンベラで数日、滞在することができました。

FH000180.jpg

ー180 東海岸のオーストラリアの都市。

FH000181.jpg

ー181 この町のyamahaで、燃料タンクをもらいました。バイクの性能が違う感じがします。

FH000182.jpg

ー182 大都市はどこも同じかな。

FH000183.jpg

ー183 郊外に行くと、植民地時代の建物が残っています。

FH000184.jpg

ー184 こんなのが来たら、私は逃げました。すごい埃と小石が飛んでくるのです。当たると痛い。

FH000185.jpg

ー185 これは犬かと思い写真を取らしてもらいました。

FH000186.jpg

ー186 この国でも若者は大陸を旅行しています。

FH000187.jpg

ー187 内陸部でもこのような道路標識がありました。

FH000188.jpg

ー188 こんなバイクで旅行したいですね。助手席に、ただ座っているのも大変かもしれない。

FH000189.jpg

ー189 このように転がっているカンガルーを良く見かけました。

FH000190.jpg

ー190 乾燥した潅木が簡単に手に入るので、私も湯を沸かし、コーヒーを飲み始めました。

FH000191.jpg

ー191 内陸部の町です。ガソリンスタンドと小さな商店があるだけかな。ガソリンの量はは棒で計る所もありました。

FH000192.jpg

ー192 靴も疲れました。

FH000193.jpg

ー193 バイクはyamahaの店から日本へ送ってもらいました。yamahaからは多くの援助をもらいました。

FH000194.jpg

ー194 帰りの途中。タイに寄りました。自分の旅が終わることを感じました。そして、これからどうすると思ったのです。

FH000195.jpg

ー195 仏様のお祭りがありました。素敵な少女が水の入った器を運んでいました。

※この旅でも私は多くの人に助けられました。本当に感謝したいと思います。特にアフリカでは各国でお世話になりました。いつか、恩返しをしたいと思っています。

 特に、ニジェールの国境事務所では、職員の男性が私にシャワーとビールを与えてくれました。砂漠の中の事務所です。

 シャワーは小枝で囲った部屋の中にバケツ一杯の水が置かれていました。貴重な水で非常にうれしかった。

*2000枚の写真を全部見たい方はこちらのブログを見てください。

 http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14

 

*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。

検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。

 http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/

 

*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)

立風書房 1981

 

連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1


 



共通テーマ:バイク
オートバイの旅 ブログトップ