オートバイの旅「玉井洋造の旅1979(1)」 [オートバイの旅]
玉井洋造の旅 1979 (1) tamai yozo no tabi 1979 (1)
1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。
これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。
旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。
1976.08.03~1979.09.20
走行距離 約17万キロ
( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)
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走行ルート
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001 横浜からカナダのバンクーバーへ船で送りました。港の人たちが助けてくれました。
初めての海外ツーリングです。港からどっちへ走って良いのかも分からない。
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002 アラスカー向かいました。アラスカハイウェイを北上します。
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003 初めてのキャンプ。テントは簡単なツェルトです。
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004 アラスカハイウェイを北上する。森林が深くなりました。
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005 アメリカの青年たちもアラスカへ向かいます。バイクは750以上だった。私のは250でした。
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006 そして、ダートコースとなり、雨も降り始めました。初心者の私は辛かった。
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007 ALASKAに到着。
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008 アラスカでは、こんな角を持ったヘラジカが道路を横切りました。私を見て、小便をして、逃げていくのです。
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009ー何もない森林地帯の中で、突然このような郵便ポストを見つけることがあります。近くに家は見当たりませんでした。
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010ー寒くて、カッパを着て走っていました。この姿で走ることが多かった。
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011ーアラスカの森林。
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012ーアラスカで知り合った青年の家を訪ねました。しかし、その青年は、まだ旅から戻っていなかった。でも彼の両親と彼の兄弟が歓迎してくれた。ニューヨークの近くの町。
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013ーアメリカのニューヨークからサンフランシスコへへ向かいます。
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014ーこんな牧場風景を見たので感動しました。でもキャンプの場所がなかった。
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015ー女性二人のバイク野郎です。凄い感じでした。
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016ー道路際の教会で結婚式があり、私も写真を取らせてもらいました。その後、青年たちの結婚式にも参加しました。パーティは馬鹿騒ぎでした。
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017ーグランドキャニオンへ寄ってみました。日本にはない景観です。
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018ー私はキャンプ場所を求めて、この近くを彷徨いました。
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019ーこんな開放的な場所だから、キャンプ地は見付からない。公園ではキャンプは禁止されています。もちろん、キャンプ場はなりますが、私は行かなかった。
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020ー映画で見たのと同じ景観がありました。アリゾナ州
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021ーここでキャンプです。
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022ー自然公園の看板です。
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023ー非常に面白い景色の所でした。もちろん、ここでもキャンプ。
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024ー町で知り合った男性の家に招待されました。ちょうどハローウィーのお祭りの最中でした。一番下の子供たちです。子供たちが多くて、食事は台所へお盆を持って並びました。母親が料理を入れてくれます。
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025ー西海岸へ近づきました。しかし、ロッキー山脈越えは、すでに冬で寒かった。テントがバリバリに凍りました。
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026ーアメリカの西海岸。海の靄が激しく変化しました。
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027ーサンフランシスコの町中を走りました。
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028ーメキシコへ向かいます。バハカリフォルニア半島を南下しました。サボテンが多くて、楽しい。
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029ー樹のようなサボテンもありました。私のバイクが根元にあります。
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030ーメキシコに入ると景色が変わりました。これから世界旅行が始まることを強く感じました。
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031ー写真はメキシコからパナマに飛びます。北と南のアメリカ大陸をつなぐ道路がないのです。バイクはベネズェラへ空輸します。
この時の私は随分と汚れていたようで、彼らは私に同じTシャツをくれました。私は、この時もこの近くで寝ました。蚊が凄くて、寝袋に潜り込んで、汗をかきながら寝ました。
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032ー南アメリカの写真が殆どありません。ガソリンスタンドキャンプしている時に盗まれてしまいました。
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033ーアルゼンチンの南端のフェゴ島へ向かいます。
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034ーアルゼンチンのバイク仲間たちと一緒に過ごしました。
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035ーパラグアイのイグアスの滝を見に行きました。
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036ーバイクツーリストにとって、子供たちは最高の友達になります。いろいろと助けてもくれます。相談することもできます。キャンプの場所を尋ねることもできます。
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037ーアルゼンチンを南下しているときに、カーボーイたちが食事をしていのを見つけました。食べさせてもらいました。本当に旨い肉だった。ヘルメットの中がステーキの香で充満した。
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038ーウシュワイアの町では雪になってしまい。町の人に助けられました。その後ブエノスアイレスへ戻るときは、当然のように転倒です。
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039ーブラジルのサンパウロ。情熱的な人が多かった。
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040ーウルグアイの国境です。何もない。良いですね。
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041ーブラジルのサンパウロ。ここまで来ることができました。次はアフリカだ。
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042ーサンパウロ市内の走行写真を撮ってもらいました。
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043ーブラジルの首都、ブラジリアです。こんな感じの町は好きになれない。
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044ーどこかの町で休憩中。
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045ー南米の人たちは笑顔が良い。
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※この旅の全ての写真を見たい方は、こちらのブログを見てください。これから連載します。
http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14
*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。
検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/
*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)
立風書房 1981
連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1 玉井洋造
オートバイの旅「玉井洋造の旅1979(2)」 [オートバイの旅]
玉井洋造の旅 1979 (2) tamai yozo no tabi 1979 (2)
1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。
これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。
旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。
写真は (1) (2) (3) と分けました。それぞれ約60枚の構成です。
訪問都市 北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オーストラリア
1976.08.03~1979.09.20
走行距離 約17万キロ
( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)
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ー046 ブラジルから飛行機でセネガルに移動した。アフリカにはガソリンがあるのか。食料はあるのか。道路標識はあるのか。心配で一杯だった。
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ー048 セネガルとマリの国境には道路がなかった。鉄道はあるので、貨車で移動する。
フランス人の青年と一緒になった。私はバイクの横で、落ちないように座っていた。
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ー049 アフリカの人たちの笑顔はすてきだ。
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ー050 アフリカでもいつものようにキャンプした。村人との交流は十分にする。
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ー051 アフリカでも子供たちは私の友達だ。
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ー052 村でキャンプした。私のキャンプの邪魔をする子供たちはない。みんなすてきだ。出ないと、こんな笑顔は作れない。
私は、この村でカビの生えてしまったパンをゴミ捨て場に捨てた。すると子供たちが拾い始めたので、それを見ていた私は非常に心が苦しかった。
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ー053 アフリカのセネガルのバオバブの大木だ。根が地上に出ているように見える。
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ー054 ここは警察の中庭。ここでキャンプした。こんなに私に親しくしてくれる子供たち。
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ー055 写真を撮るよと言うと、こんな笑顔が返ってきた。皆がにっこりしている。
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ー056 旅のコースはセネガル・マリ・コートジボアール・ガーナと進みました。村でキャンプするとき、どこでも歓迎してくれました。
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ー057 良く覚えていないのですが、こんな建物の中庭でもキャンプしています。私にとってテントの中が自分の空間なのです。暑くてもテントの中は落ち着ける。
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ー058 ガーナのオートバイの店では皆が迎えてくれました。
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ー059 ガーナから、カメルーン・中央アフリカへ向かいました。雨の日が多くなり、道路はこんな状態です。
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ー060 バイクのディスクブレーキは最高のものですが、泥を被ると全く制動は利きませんでした。走るのが辛い。
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ー061 村にある商店はほぼこんな感じでした。私は良くオイルサーディンの缶詰を買っていました。
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ー062 中央アフリカに入ると、もう前進が不可能になりました。このときは、通りかかった村の青年が押してくれました。彼は、全身泥まみれになりました。いつもはこんな写真を取る余裕はないのですが、このときは諦めていましたので、写真を撮っていました。
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ー063 道路は土道が続きます。幅員もこんなものでした。
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ー064 この年は石油危機で世界中でガソリンが不足しました。この先でのガソリンの入手が不安でした。
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ー065 中央アフリカの国道を東へ進みます。
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ー066 少し大きな町では市場の商品も豊かです。
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ー067 草原に大きな樹木があるとその下でキャンプがしたくなります。しかし、夕方、鳥たちが戻ってくるのです。鳥たちの睡眠前の騒音は凄いものです。
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ー068 アフリカでのロバはバイクのようなものです。みんな上手に乗りこなしている。
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ー070 子供たちが集まってくれました。こんなに上手に並んでくれとは言っていないのに上手に並んでくれました。年齢順に決まっているのかもしれない。
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ー071 中央アフリカにはガソリンがありません。更にザィールに入国して、ガソリンを見つけられるかどうか分かりません。トラックで引き返すことにしました。
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ー072 トラックの上から村の写真を撮りました。広場の市場の端では、女性が木琴を叩いていました。凄いリズムです。アフリカの生の音楽に出会えました。
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ー073 トラックの上での交流。子供の私のヘルメットをかぶせました。
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ー074 首都バンギに戻って、カメルーンを北上します。
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ー075 村で、こんな穀物の倉庫らしいものを見つけました。青年は自慢げにポーズをとってくれたのです。
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ー076 カメルーンを北上。山岳地帯にはこなん美しい景観がありました。そこでパンクをしてしまった。
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ー077 ナイジェリアの首都ラゴスは大きな町です。そこでサハラに向かう準備をしました。エンジンの調子が今ひとつ良くなのです。
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ー078 砂漠地帯に入っていきます。砂が深くなるとエアークリーナに砂が入り、エンジンの調子が悪くなります。そのたびにバイクからクリーナを取り出し、砂を払いのけます。
そんな時、誰も居ないところだと思っていると、人々が集まって来るのです。
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ー079 砂漠の入口の町。アガデスの郊外キャンプをしました。そのときのお隣さんです。お互いに物々交換をしました。私は魚の缶詰。こちらの人はヤギの乳をくれました。
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ー080 砂漠を前に緊張しています。。
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ー081 アガデスまでの途中も道路は砂道でした。こんな砂でも落ち着いて進めは゛前進するものです。
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ー082 この灯油缶はガソリンを入れて運ぶために持って行きます。
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ー083 砂漠の中のホテル。
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ー084 この日もこんな所でキャンプ。
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ー085 アガデスの町です。ガソリンを運んでくれるトラックを探しました。
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ー086 アルジェリアへ引き返すトラックの群れと一緒にサハラを越えます。
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ー087 最初は何とか付いて行くことができました。しかし、夜も走り続いたので私は付いていけなくなりました。バイクのライトでわだちを探しながら走るのは辛かった。
ー
ー088 砂漠の砂は硬い所もあれば、パウダーのような所もあります。
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ー089 このトラックたちと一緒に行動しました。
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ー090 トラックは大きなバルーンタイヤを履いています。
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ー091 ついつい砂に書いてしまった言葉。「サハラ」
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ー トラック隊と分かれて、また自分人の旅が始まりました。砂のわだちは非常に広範囲に広がっていますので、いつの間にかわだちから外れてしまいます。この時もわだちを見失いました。心臓が一瞬、凍りつきます。
幸いアルジェリアの兵隊さんらしい車に出会い。道を教えてもらいました。「あっちだ。」と言っていました。わだちは少し外れると、もう見えないのです。
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ー092 タマンラセット郊外の砂丘です。このオアシスで休憩しました。
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ー093 やはり、砂漠の中のオアシスはすばらしい。砂漠を越えてきたものにとって本当に夢の世界に思えた。
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ー095 このガルダイアの町も砂漠の中にあります。砂丘を越えると、突然この町が現れます。町が白く輝いていました。
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ー096 町の中まで入ってしまいました。オアシスに人々がいるだけでも魅力的です。私はすこし、人恋しくなっていました。
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ー097 アルジャリアの地中海の砂浜です。砂漠を越えて、見る海も非常に美しく感じます。
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ー098 アルジャリアのアトラス山脈を越えると世界は砂漠から緑の大地に変わります。
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ー099 地中海のこんな景色が私を歓迎してくれました。
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ー100 随分と衣類も傷んできました。
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ー101 アルジェリアで会った人。
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ー102 アルジェリアでは放牧の羊を追い払いながら進むことに慣れたころ、私は羊と衝突です。
村人の協力で町の病院へ行きました。手首の骨折です。一ヵ月後に戻ってくれば、ギブスを外すと言われたのですが、行く所がないので、入院させてもらいました。
一ヵ月間の病院生活。アルジェリアの素顔を見ることができました。もちろん、かわいい看護婦さんも居ました。
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ー103 バイクは10万キロを越えました。ヨーロッパの旅が始まりました。
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ー104 モロッコの山岳地帯です。
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ー105 フランスではアフリカで知り合った青年の家に行きました。
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ー106 カフェへ連れて行ってもらいました。
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ー107 フランスでは、yamahaの工場で整備をしてもらいました。
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ー108 フランスのセーヌ川。いいですね。
しかし、ヨーロッパで野宿をするのは、その場所を見つけるのが大変だった。
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ー109 イギリスの田舎道を走りました。
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ー110 デンマークからノルウェーに渡ります。
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ー111 バイクの青年と知り合います。
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ー112 ノルウェーの最北端の町です。カラフルだけど、非常に寂しい雰囲気。
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ー113 ドイツでは、森の中でキャンプをする事ができました。
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ー114 スイス・イタリア・ユーゴスラビアと通過していきます。
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ー115 もう、冬が近いことを感じて、急いで南下しています。
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ー116 ユーゴスラビアでは農家の人たちにお世話になりました。学校へも行きました。私は着るものがないので、彼らのものを借りました。
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ー117 こんなに子供たちが集まってしまった。
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*2000枚の全ての写真を見たい方は、こちらのブログを見てください。
http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14
*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。
検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/
*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)
立風書房 1981
連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1
オートバイの旅「玉井洋造の旅1979(3)」 [オートバイの旅]
玉井洋造の旅 1979 (3) tamai yozo no tabi 1979 (3)
1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。
これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。
旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。
写真は(1) (2) (3)と分けました。
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1976.08.03~1979.09.20
走行距離 約17万キロ
( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)
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走行ルート
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ー118 トルコからイランへ向かいました。国境は意外と標高が高くて、雪になってしまいました。ドイツの青年と一緒です。エンジンの点火が悪いので、私が引っ張ってスタートします。
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ー119 もう少し早く南下するべきだと何度も思いました。このときはキャンプをしませんでした。
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ー120 イランに入ってもテヘラン近くまで、雪道が続きました。
同じ状態で走行しているとキャブが凍り付いて、回転が下がらなくなります。泥除けの裏側にも雪が凍りつきました。
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ー121 イランのパンはおいしかった。私の主食はパンだけだったので、嬉しかった。
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ー122 安い宿はこんな感じでした。ドイツの青年です。
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ー123 イランの革命の隙間を潜りながらパキスタンへ向かいます。紛争が続くアフガニスタンは、とても入れる状態ではありませんでした。
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ー124 ペルシャの遺跡を感じるものが時々見られます。シラーズまで南下して、砂漠地帯を東へ向かいます。
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ー125 町で親子に会いました。
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ー126 イラン南部の高原地帯です。ここでキャンプ。でも隠れるものがない。
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ー127 道路際でキャンプです。遠くの方から人々の声が聞こえたのを覚えています。
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ー128 パキスタンに入りました。喫茶店です。紅茶を飲みます。時々、カレーも食べました。
ー
ー129 トラックの写真を撮りたいといったら、皆が集まってくれました。
ー
ー130 どこでも子供は、素敵だ。
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ー131 この人たちの家の庭でキャンプをしました。
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ー132 子供たちは私の邪魔をしないように見学してくれました。
ー
ー133 村でキャンプのとき、村長さんのような人が尋ねてきました。
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ー134 早朝のクエッタの町です。遠くに寺院が見えます。
多くの人が朝のトイレのために、水の入った壷をぶら下げて歩いています。
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ー135 こんな素敵な顔はどうしたら生まれるのでしょうか。私に話しかけてきた青年です。
ー
ー136 パキスタンで、ポリスのような人がバイクでやってきました。
ー
ー137 インドのタクシーです。
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ー138 街路の中央には寺院がある。バイクはこれ以上先へ進めませんでした。
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ー139 インドの町の夕焼け。
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ー140 インドのタジマハールの寺院へ行ってみました。
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ー141 インドでは、いたるところに寺院がありました。
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ー142 インドの少女たち。かわいいですね。
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ー143 インドでは、空き地などはありません。だから私は学校・工場・農家などの庭でキャンプをしました。時々、このような廃墟を見つけます。
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ー144 どこかの寺院の塔に登りました。
ー
ー145 地方の町で象に会いました。町中で見る象は大きいし、凄い。
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ー146 インドからネパールへ向かいます。
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ー147 途中でネパールの女性たちに出会い。写真を撮りました。
村では、私がわずかな薬を持ってるということで、多くの人たちが相談に来ました。
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ー148 ネパールにいるチベット族の女性です。
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ー149 カトマンズでは皆が集まってくれました。
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ー150 こなんユニークな塔を見つけました。
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ー151 立派な国の標識です。
ー
ー152 ネパールの国道。
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ー153 ネパールのポカラまで行きました。山が凄い。ここでキャンプしています。
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ー154 空き地があれば、キャンプをさせてもらう。
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ー155 ここはインドで、この日は、この怪しげな寺院でキャンプしました。夜遅くまで、付き合いました。
ー
ー156 インドには、ラクダも居ました。私のバイクの爆音で逃げていくことがありました。
ー
ー157 インドのカルカッタでの宿です。タイへ行く準備をしました。
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ー158 船はマドラスから出港しました。
ー
ー159 タイのプーケットへ向かいます。ロシアの客船でした。船は揺れました。苦しかった。でも、ご馳走を食べました。
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ー160 タイ、プーケットの町です。久しぶりに見る漢字の看板が印象的でした。
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ー161 マレー半島を北上します。
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ー162 タイのチェンマイへ行く途中。村でキャンプ。家の中で寝ることができました。皆が歓迎してくれたのです。
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ー163 シンガポールの宿の子供たち。
私はシンガポールから客船でオーストラリアへ向かいました。
ー
ー164 オーストラリアのパースです。上陸するときは、バイクを自分で洗いました。
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ー165 オーストラリアのトラックは、このようなトレーラ車です。バイクにとって迷惑です。
ー
ー166 キャンプの設置は、こんなふうに荷物を並べてから、テントを被せます。私のテントはツェルトといって、簡単なものでした。
ー
ー167 オーストラリア。ここも、ただ平坦な大地が延々と続きました。
ー
ー168 地元のナンバープレートを拾いました。
ー
ー169 パトカーには、カンガルーのマークが付いている。
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ー170 私の大事な装備です。ジーンの生地に孔を開け、サングラスを貼り付けました。
小石が顔に当たるのを防いでくれます。
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ー171 いつものキャンプの様子です。テントで日陰をつくり、暗くなるのを待ちます。
ー
ー172 オーストラリアの中央にある岩山。エアーズロック。絵葉書のように赤くなってくれました。
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ー173 オーストラリアの内陸は殆ど舗装はされていません。良く整備されているのですが、車は高速で走るので、路面は激しいコルゲーション状態です。とても走れない。
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ー174 ちょうど乾季が終わり、花が一斉に咲き始めました。美しい。
ー
ー175 こんな変わった花もあります。目玉のようにも見えます。
ー
ー176 アー美しい。でも今だけ。その後はただのブッシュです。
ー
ー177 道路際まで花で埋まります。
ー
ー178 家はトラックで運ぶそうです。
ー
ー179 キャンベラで数日、滞在することができました。
ー
ー180 東海岸のオーストラリアの都市。
ー
ー181 この町のyamahaで、燃料タンクをもらいました。バイクの性能が違う感じがします。
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ー182 大都市はどこも同じかな。
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ー183 郊外に行くと、植民地時代の建物が残っています。
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ー184 こんなのが来たら、私は逃げました。すごい埃と小石が飛んでくるのです。当たると痛い。
ー
ー185 これは犬かと思い写真を取らしてもらいました。
ー
ー186 この国でも若者は大陸を旅行しています。
ー
ー187 内陸部でもこのような道路標識がありました。
ー
ー188 こんなバイクで旅行したいですね。助手席に、ただ座っているのも大変かもしれない。
ー
ー189 このように転がっているカンガルーを良く見かけました。
ー
ー190 乾燥した潅木が簡単に手に入るので、私も湯を沸かし、コーヒーを飲み始めました。
ー
ー191 内陸部の町です。ガソリンスタンドと小さな商店があるだけかな。ガソリンの量はは棒で計る所もありました。
ー
ー192 靴も疲れました。
ー
ー193 バイクはyamahaの店から日本へ送ってもらいました。yamahaからは多くの援助をもらいました。
ー
ー194 帰りの途中。タイに寄りました。自分の旅が終わることを感じました。そして、これからどうすると思ったのです。
ー
ー195 仏様のお祭りがありました。素敵な少女が水の入った器を運んでいました。
ー
※この旅でも私は多くの人に助けられました。本当に感謝したいと思います。特にアフリカでは各国でお世話になりました。いつか、恩返しをしたいと思っています。
特に、ニジェールの国境事務所では、職員の男性が私にシャワーとビールを与えてくれました。砂漠の中の事務所です。
シャワーは小枝で囲った部屋の中にバケツ一杯の水が置かれていました。貴重な水で非常にうれしかった。
ー
*2000枚の写真を全部見たい方はこちらのブログを見てください。
http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14
*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。
検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/
*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)
立風書房 1981
連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1