自転車の旅「玉井洋造の旅2015」中央アジア [2015中央アジア]
tamai yozo no tabi 2015 by bicicle and motorcycle
中央アジアの自転車旅行をしました。
2015.04.21~2015.08.17 走行距離 約5,000km
中国、カザクスタン、キリギスタン、ウズベキスタン(Sanghai,Almaty,Bishkek,Simkent,Tashkent,Samarkand,Kashgar )
ー杭州の周辺は、水路が張り巡らされたところで、道路と水路の二重の交通手段があります。
ー水路にはホテイアオイが密生していました。
ー中国の若者たちに会いました。一緒に走り、浙江省へ戻ってきました。
ー水面ぎりぎりまで荷を積んだ運搬船が水路を行きます。
ー上海へ戻ってきました。
ー上海からウルムチに到着し、国道G312を西へ向かいます。
ー休憩です。写真を撮ります。
ーすでに乾燥地帯が始まりました。
ー私のお気に入りのブルックスのagedモデルです。今年から使い始めました。
ー私のお気に入りのサンダルです。足がむき出しで危険なのですが、足が蒸れないので、最高にいいですね。
ー省道のS115に入りました。
ーいつも使用している自転車タイヤ。シュワルベです。耐久性が抜群に良い。
ーホテルから見た天山山脈です。私には、この山脈は越えられないと思った。
ーさらに西へ向かいます。この地域のお墓のようです。
ーもう完全に砂漠地帯になってしまった。
ー高速道路を進んでいましたので、料金所があるのですが、使われていません。
ー住宅地を覗いてみました。
ーもう町はありません。空き地でキャンプです。
ー宿の裏で見つけた景色です。
ー中国人の青年と、この宿らしきところに入りました。ただ横になるだけです。早く朝になればいいなと思いました。
ー天山山脈を見ながら西へ行きます。
ー草地に石が積まれただけの農家です。
ー賽理木湖です。
ー疲れました。写真をパチリ。
ー前方に山が見えてきました。
ー峠に到着しました。ずっと一定勾配の坂道でした。今まで砂漠だったのに針葉樹林があるのです。
ー高速道路が終わることを表示しています。実際問題、高速道路しか西へ向かう道はないのです。
ーコルガスからカザクスタンへ入りました。道路の景色も変わりました。緑が多い。ハルニレが多い。
ー国境で韓国の若者に会いました。Almatyまで一緒に行動します。
ー休憩です。本当に緑が多くなった。中国とカザクスタンの国土利用の違いなのでしょう。
ーバス停です。それぞれのバス停でデザインが違います。
ーカザクスタンの田舎町です。
ー二日目はこの宿に泊まることにしました。KOHAK YNが宿の意味だそうです。
ー私の写真を撮ってもらいました。
ーキリギスタンの国道の景観です。意外と高木が多い。
ー バス停で休憩。
ーAlmatyで若者と別れて、私はBishkekへ向かいます。
ー町のはずれには、キリギスタンの雪をかぶる山々が見えます。
ーBishkekまで200kmとあります。
ー中央アジアは、あまりホテルがありません。この日は旧道の真ん中でキャンプです。
ーこの屋台の店で朝食にしました。ヨーグルトの粥のようなものを食べました。親父さんが乾燥したヨーグルトの塊をくれました。
ー走行中の景色です。
ー乾燥地帯の景色が続く。
ー道路から少し外れたところでキャンプです。
ー商店には、このようにドアの真ん中に小窓があります。夜は店内に入れないようです。やはり治安が良くないのだ。
ーカザクスタンの登録プレートです。
ーBishkekに到着しました。
ー広場の前にあるデパートです。
ーバス停の花屋さんです。
ー道路際に水路を見つけキャンプです。
ーバス停の中から写真を撮りました。
ーこの日は、この大きな木の下でキャンプです。ここへ来るまで樹木などなかったのです。夕方には近くの村の子供たちが家から夕食を運んでくれました。
ーさらに西へ進みます。
ーキリギスタンの山が、まぶしい。
ー背景の山とバス停の太陽が素敵です。
ーこの日は丘の上でキャンプです。日影がないので、草の上で死んだように横たわっていました。
ーこの花がよく咲いています。
ーこの雑草は葉が大きくて、柏の葉のような形をしています。そして風に飛ばされていくのですが、ガサガサと煩いのです。
ーShimkentへ向かいます。
ーパーキングエリアで休憩。
ー村の入り口に水路があったので、キャンプです。牛追いの子供たちが馬に乗ってやってきました。そして、全く手入れのしていない裸馬に乗せてもらいました。
ー なだ、キリギスタンの山脈が続きます。
ーバス亭の売店で休憩。
ーSimkentでは、このホテルに入りました。全く予定がなかったのですが、別のホテルの若者が教えてくれました。
ー150kmほど北にあるTorukistanの町へ向かいます。道路端でキャンプ。
ー道路端だけど、ぐっすりと眠ってしまった。
ー 町で食料を購入したら、店の親父さんが歓迎してくれました。
ー郊外の新興住宅地です。
ーこれを見るために来たのです。町で、いちばん背の高い建物でした。
ー横から見ました。非常に質素な管理で好きになりました。モスクの入場料はありませんでした。内部も、とてもいい感じです。
ーカザクスタンのtorukistanという町にあるモスクです。素敵でした。
ー触ってしまった。
ーモスクの正面です。色彩がありません。
ーこの地域には、このオニゲシがよく繁殖しています。
ー私の自転車には、カウベルがぶら下がっています。煩いぐらいにカランカランとなります。
ー途中で休憩し、写真をパチリ。
ー帰り道も同じ道を行きます。だから少し余裕があるのです。しかし暑い。テントは日が沈んでから張ります。
ー 村の入り口には、このような案内板あります。ロシアのようです
ーサマルカンドへ行くとき、キャンプのできる場所がなかったので、村人に尋ねました。パン職人の家に泊まることができました。近くの村人が集まりました。
ー 翌朝、お母さんがパンの生地をこねていました。私は焼き立てのパンをいただきます。
ー次の日も民家に泊まることができました。感謝感謝です。しかし、この後私は熱中症にかかってしまいました。フラフラになって、緊急キャンプをしました。
ーサマルカンドに到着。やはり、地域で一番大きな建物でした。
ー市内のモスクを回ってみました。
ーとてもきれいに管理されています。
ーサマルカンドで宿泊したホテルです。15ドルでした。
ー毎朝、この公園でモスクを見て、過ごしました。
ー首都のタシュケントに戻ります。
ー私の自転車の荷物はこんな状態です。
ー
ーサマルカンドで、たっぷり休養を取り、引き返します。この日は民家の裏にテントを張りました。
ー彼が私を招待してくれたのです。
ー女の子と女の子です。小さい子は丸刈りです。髪が長いと夏は暑いから。と聞きました。
ーここがTopchanというhostelです。安くて、設備がよくて、ベッドの配置に余裕があり快適です。それより、私が自転車のトラブルで困っているときに、修理のできる人を探してくれました。
ーウズベキスタンからキリギスタンのオシュへ向かいます。途中に峠があるのです。
ー一日目は工場の裏でキャンプです。
ー村でパンを買いました。
ー山道を進みます。
ーキリギスタンのOshに到着。岩山の真ん中に博物館らしきものを作りました。神様が怒らなかったのかな。
ーユネスコの指定する文化遺産です。イスラム教の巡礼地だそうです。
ーホテルからSuleyman tooが見えます。
ーOshから中国の国境へ向かいます。
ー途中の商店で休憩。
ーこの域は遊牧地であったので、隠れる場所はありません。道路わきでキャンプ。そしたら、一時間後にスイカやトマトが届けられました。やはり見ている人がいるのだ。
ーこの草は牛も食べない雑草です。だから余計に優勢になって茂っているようです。
ー牛が食べない草が残っています。
ー峠の周りは、遊牧民のテントが数多くありました。
ー峠の茶店です。
ー女主人と記念写真です。
ー峠へ向かいました。この先から勾配がきつくなった。
ー峠道が続きます。
ー峠を通過したところで、村の人に頼んで宿泊させてもらいました。
ーさらに、南下します。川沿いの道ですから、それほどの坂はありません。
ー北風が突然強くなったので、食堂の浦にテントを張りました。その後は雨です。ここで2泊しましたが、隣が食堂でしたので食事の心配はありませんでした。
ー峠は雨が降っているようです。行きたくない。
ー食堂の長女とその子供です。私に馴染んでくれました。
ー国境の村では、ここでキャンプをして4日も過ごすことになりました。
ー向こう側が中国領です。
ー地図には、きちんと記載されている村ですが、コンテナの家が10軒ほど並ぶだけです。
ー国境は土日曜が休みなので、このようにトラックの列ができます。しかし、中国からのトラックは反対車線を進み、割り込むのです。困ったものだ。
ーこのおばさんが私に食事を与えてくれました。感謝したい気持ちがありましたので、十分に謝礼を置いていきました。私の名前を憶えてくれました。
ーカシュガルから上海に戻ってきました。
ーフェリーで上海から大阪に到着した後、墓参りをしました。無事に旅行を終了させることができました。
ー