玉井洋造の旅 1979  (2)    tamai yozo no tabi 1979  (2)

1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。

これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。

旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。

写真は (1)  (2)  (3) と分けました。それぞれ約60枚の構成です。

訪問都市 北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オーストラリア

1976.08.03~1979.09.20

走行距離 約17万キロ

( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)

ー046 ブラジルから飛行機でセネガルに移動した。アフリカにはガソリンがあるのか。食料はあるのか。道路標識はあるのか。心配で一杯だった。

ー048 セネガルとマリの国境には道路がなかった。鉄道はあるので、貨車で移動する。

フランス人の青年と一緒になった。私はバイクの横で、落ちないように座っていた。

ー049 アフリカの人たちの笑顔はすてきだ。

ー050 アフリカでもいつものようにキャンプした。村人との交流は十分にする。

ー051 アフリカでも子供たちは私の友達だ。

ー052 村でキャンプした。私のキャンプの邪魔をする子供たちはない。みんなすてきだ。出ないと、こんな笑顔は作れない。

 私は、この村でカビの生えてしまったパンをゴミ捨て場に捨てた。すると子供たちが拾い始めたので、それを見ていた私は非常に心が苦しかった。

ー053 アフリカのセネガルのバオバブの大木だ。根が地上に出ているように見える。

ー054 ここは警察の中庭。ここでキャンプした。こんなに私に親しくしてくれる子供たち。

ー055 写真を撮るよと言うと、こんな笑顔が返ってきた。皆がにっこりしている。

ー056 旅のコースはセネガル・マリ・コートジボアール・ガーナと進みました。村でキャンプするとき、どこでも歓迎してくれました。

ー057 良く覚えていないのですが、こんな建物の中庭でもキャンプしています。私にとってテントの中が自分の空間なのです。暑くてもテントの中は落ち着ける。

ー058 ガーナのオートバイの店では皆が迎えてくれました。

ー059 ガーナから、カメルーン・中央アフリカへ向かいました。雨の日が多くなり、道路はこんな状態です。

ー060 バイクのディスクブレーキは最高のものですが、泥を被ると全く制動は利きませんでした。走るのが辛い。

ー061 村にある商店はほぼこんな感じでした。私は良くオイルサーディンの缶詰を買っていました。

ー062 中央アフリカに入ると、もう前進が不可能になりました。このときは、通りかかった村の青年が押してくれました。彼は、全身泥まみれになりました。いつもはこんな写真を取る余裕はないのですが、このときは諦めていましたので、写真を撮っていました。

ー063 道路は土道が続きます。幅員もこんなものでした。

ー064 この年は石油危機で世界中でガソリンが不足しました。この先でのガソリンの入手が不安でした。

ー065 中央アフリカの国道を東へ進みます。

ー066 少し大きな町では市場の商品も豊かです。

ー067 草原に大きな樹木があるとその下でキャンプがしたくなります。しかし、夕方、鳥たちが戻ってくるのです。鳥たちの睡眠前の騒音は凄いものです。

ー068 アフリカでのロバはバイクのようなものです。みんな上手に乗りこなしている。

ー070 子供たちが集まってくれました。こんなに上手に並んでくれとは言っていないのに上手に並んでくれました。年齢順に決まっているのかもしれない。

ー071 中央アフリカにはガソリンがありません。更にザィールに入国して、ガソリンを見つけられるかどうか分かりません。トラックで引き返すことにしました。

ー072 トラックの上から村の写真を撮りました。広場の市場の端では、女性が木琴を叩いていました。凄いリズムです。アフリカの生の音楽に出会えました。

ー073 トラックの上での交流。子供の私のヘルメットをかぶせました。

ー074 首都バンギに戻って、カメルーンを北上します。

ー075 村で、こんな穀物の倉庫らしいものを見つけました。青年は自慢げにポーズをとってくれたのです。

ー076 カメルーンを北上。山岳地帯にはこなん美しい景観がありました。そこでパンクをしてしまった。

ー077 ナイジェリアの首都ラゴスは大きな町です。そこでサハラに向かう準備をしました。エンジンの調子が今ひとつ良くなのです。

ー078 砂漠地帯に入っていきます。砂が深くなるとエアークリーナに砂が入り、エンジンの調子が悪くなります。そのたびにバイクからクリーナを取り出し、砂を払いのけます。

そんな時、誰も居ないところだと思っていると、人々が集まって来るのです。

ー079 砂漠の入口の町。アガデスの郊外キャンプをしました。そのときのお隣さんです。お互いに物々交換をしました。私は魚の缶詰。こちらの人はヤギの乳をくれました。

ー080 砂漠を前に緊張しています。。

ー081 アガデスまでの途中も道路は砂道でした。こんな砂でも落ち着いて進めは゛前進するものです。

ー082 この灯油缶はガソリンを入れて運ぶために持って行きます。

ー083 砂漠の中のホテル。

ー084 この日もこんな所でキャンプ。

ー085 アガデスの町です。ガソリンを運んでくれるトラックを探しました。

ー086 アルジェリアへ引き返すトラックの群れと一緒にサハラを越えます。

ー087 最初は何とか付いて行くことができました。しかし、夜も走り続いたので私は付いていけなくなりました。バイクのライトでわだちを探しながら走るのは辛かった。

ー088 砂漠の砂は硬い所もあれば、パウダーのような所もあります。

ー089 このトラックたちと一緒に行動しました。

ー090 トラックは大きなバルーンタイヤを履いています。

ー091 ついつい砂に書いてしまった言葉。「サハラ」

ー   トラック隊と分かれて、また自分人の旅が始まりました。砂のわだちは非常に広範囲に広がっていますので、いつの間にかわだちから外れてしまいます。この時もわだちを見失いました。心臓が一瞬、凍りつきます。

 幸いアルジェリアの兵隊さんらしい車に出会い。道を教えてもらいました。「あっちだ。」と言っていました。わだちは少し外れると、もう見えないのです。

ー092 タマンラセット郊外の砂丘です。このオアシスで休憩しました。

ー093 やはり、砂漠の中のオアシスはすばらしい。砂漠を越えてきたものにとって本当に夢の世界に思えた。

ー095 このガルダイアの町も砂漠の中にあります。砂丘を越えると、突然この町が現れます。町が白く輝いていました。

ー096 町の中まで入ってしまいました。オアシスに人々がいるだけでも魅力的です。私はすこし、人恋しくなっていました。

ー097 アルジャリアの地中海の砂浜です。砂漠を越えて、見る海も非常に美しく感じます。

ー098 アルジャリアのアトラス山脈を越えると世界は砂漠から緑の大地に変わります。

ー099 地中海のこんな景色が私を歓迎してくれました。

ー100 随分と衣類も傷んできました。

ー101 アルジェリアで会った人。

ー102 アルジェリアでは放牧の羊を追い払いながら進むことに慣れたころ、私は羊と衝突です。

 村人の協力で町の病院へ行きました。手首の骨折です。一ヵ月後に戻ってくれば、ギブスを外すと言われたのですが、行く所がないので、入院させてもらいました。

 一ヵ月間の病院生活。アルジェリアの素顔を見ることができました。もちろん、かわいい看護婦さんも居ました。

ー103 バイクは10万キロを越えました。ヨーロッパの旅が始まりました。

ー 

ー104 モロッコの山岳地帯です。

ー105 フランスではアフリカで知り合った青年の家に行きました。

ー106 カフェへ連れて行ってもらいました。

ー107 フランスでは、yamahaの工場で整備をしてもらいました。

ー108 フランスのセーヌ川。いいですね。

しかし、ヨーロッパで野宿をするのは、その場所を見つけるのが大変だった。

ー109 イギリスの田舎道を走りました。

ー110 デンマークからノルウェーに渡ります。

ー111 バイクの青年と知り合います。

ー112 ノルウェーの最北端の町です。カラフルだけど、非常に寂しい雰囲気。

ー113 ドイツでは、森の中でキャンプをする事ができました。

ー114 スイス・イタリア・ユーゴスラビアと通過していきます。

ー115 もう、冬が近いことを感じて、急いで南下しています。

ー116 ユーゴスラビアでは農家の人たちにお世話になりました。学校へも行きました。私は着るものがないので、彼らのものを借りました。

ー117 こんなに子供たちが集まってしまった。

*2000枚の全ての写真を見たい方は、こちらのブログを見てください。

http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14

*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。

検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。

 http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/

*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)

立風書房 1981

連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1