玉井洋造の旅 1979  (3)    tamai yozo no tabi 1979  (3)

1979年 世界一周のオートバイ旅行をしました。

これは、その旅の記録写真です。2100枚の写真から200枚を選びました。

旅の情報としては古いですが、写真は十分に楽しめると思います。

写真は(1) (2) (3)と分けました。

訪問都市 北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・ヨーロッパ・アジア・オーストラリア

1976.08.03~1979.09.20

走行距離 約17万キロ

( 写真をクリックすると拡大表示ができます。)

走行ルート

ー118 トルコからイランへ向かいました。国境は意外と標高が高くて、雪になってしまいました。ドイツの青年と一緒です。エンジンの点火が悪いので、私が引っ張ってスタートします。

ー119 もう少し早く南下するべきだと何度も思いました。このときはキャンプをしませんでした。

ー120 イランに入ってもテヘラン近くまで、雪道が続きました。

 同じ状態で走行しているとキャブが凍り付いて、回転が下がらなくなります。泥除けの裏側にも雪が凍りつきました。

ー121 イランのパンはおいしかった。私の主食はパンだけだったので、嬉しかった。

ー122 安い宿はこんな感じでした。ドイツの青年です。

ー123 イランの革命の隙間を潜りながらパキスタンへ向かいます。紛争が続くアフガニスタンは、とても入れる状態ではありませんでした。

ー124 ペルシャの遺跡を感じるものが時々見られます。シラーズまで南下して、砂漠地帯を東へ向かいます。

ー125 町で親子に会いました。

ー126 イラン南部の高原地帯です。ここでキャンプ。でも隠れるものがない。

ー127 道路際でキャンプです。遠くの方から人々の声が聞こえたのを覚えています。

ー128 パキスタンに入りました。喫茶店です。紅茶を飲みます。時々、カレーも食べました。

ー129 トラックの写真を撮りたいといったら、皆が集まってくれました。

ー130 どこでも子供は、素敵だ。

ー131 この人たちの家の庭でキャンプをしました。

ー132 子供たちは私の邪魔をしないように見学してくれました。

ー133 村でキャンプのとき、村長さんのような人が尋ねてきました。

ー134 早朝のクエッタの町です。遠くに寺院が見えます。

多くの人が朝のトイレのために、水の入った壷をぶら下げて歩いています。

ー135 こんな素敵な顔はどうしたら生まれるのでしょうか。私に話しかけてきた青年です。

ー136 パキスタンで、ポリスのような人がバイクでやってきました。

ー137 インドのタクシーです。

ー138 街路の中央には寺院がある。バイクはこれ以上先へ進めませんでした。

ー139 インドの町の夕焼け。

ー140 インドのタジマハールの寺院へ行ってみました。

ー141 インドでは、いたるところに寺院がありました。

ー142 インドの少女たち。かわいいですね。

ー143 インドでは、空き地などはありません。だから私は学校・工場・農家などの庭でキャンプをしました。時々、このような廃墟を見つけます。

ー144 どこかの寺院の塔に登りました。

ー145 地方の町で象に会いました。町中で見る象は大きいし、凄い。

ー146 インドからネパールへ向かいます。

ー147 途中でネパールの女性たちに出会い。写真を撮りました。

村では、私がわずかな薬を持ってるということで、多くの人たちが相談に来ました。

ー148 ネパールにいるチベット族の女性です。

ー149 カトマンズでは皆が集まってくれました。

ー150 こなんユニークな塔を見つけました。

ー151 立派な国の標識です。

ー152 ネパールの国道。

ー153 ネパールのポカラまで行きました。山が凄い。ここでキャンプしています。

ー154 空き地があれば、キャンプをさせてもらう。

ー155 ここはインドで、この日は、この怪しげな寺院でキャンプしました。夜遅くまで、付き合いました。

ー156 インドには、ラクダも居ました。私のバイクの爆音で逃げていくことがありました。

ー157 インドのカルカッタでの宿です。タイへ行く準備をしました。

ー158 船はマドラスから出港しました。

ー159 タイのプーケットへ向かいます。ロシアの客船でした。船は揺れました。苦しかった。でも、ご馳走を食べました。

ー160 タイ、プーケットの町です。久しぶりに見る漢字の看板が印象的でした。

ー161 マレー半島を北上します。

ー162 タイのチェンマイへ行く途中。村でキャンプ。家の中で寝ることができました。皆が歓迎してくれたのです。

ー163 シンガポールの宿の子供たち。

私はシンガポールから客船でオーストラリアへ向かいました。

ー164 オーストラリアのパースです。上陸するときは、バイクを自分で洗いました。

ー165 オーストラリアのトラックは、このようなトレーラ車です。バイクにとって迷惑です。

ー166 キャンプの設置は、こんなふうに荷物を並べてから、テントを被せます。私のテントはツェルトといって、簡単なものでした。

ー167 オーストラリア。ここも、ただ平坦な大地が延々と続きました。

ー168 地元のナンバープレートを拾いました。

ー169 パトカーには、カンガルーのマークが付いている。

ー170 私の大事な装備です。ジーンの生地に孔を開け、サングラスを貼り付けました。

小石が顔に当たるのを防いでくれます。

ー171 いつものキャンプの様子です。テントで日陰をつくり、暗くなるのを待ちます。

ー172 オーストラリアの中央にある岩山。エアーズロック。絵葉書のように赤くなってくれました。

ー173 オーストラリアの内陸は殆ど舗装はされていません。良く整備されているのですが、車は高速で走るので、路面は激しいコルゲーション状態です。とても走れない。

ー174 ちょうど乾季が終わり、花が一斉に咲き始めました。美しい。

ー175 こんな変わった花もあります。目玉のようにも見えます。

ー176 アー美しい。でも今だけ。その後はただのブッシュです。

ー177 道路際まで花で埋まります。

ー178 家はトラックで運ぶそうです。

ー179 キャンベラで数日、滞在することができました。

ー180 東海岸のオーストラリアの都市。

ー181 この町のyamahaで、燃料タンクをもらいました。バイクの性能が違う感じがします。

ー182 大都市はどこも同じかな。

ー183 郊外に行くと、植民地時代の建物が残っています。

ー184 こんなのが来たら、私は逃げました。すごい埃と小石が飛んでくるのです。当たると痛い。

ー185 これは犬かと思い写真を取らしてもらいました。

ー186 この国でも若者は大陸を旅行しています。

ー187 内陸部でもこのような道路標識がありました。

ー188 こんなバイクで旅行したいですね。助手席に、ただ座っているのも大変かもしれない。

ー189 このように転がっているカンガルーを良く見かけました。

ー190 乾燥した潅木が簡単に手に入るので、私も湯を沸かし、コーヒーを飲み始めました。

ー191 内陸部の町です。ガソリンスタンドと小さな商店があるだけかな。ガソリンの量はは棒で計る所もありました。

ー192 靴も疲れました。

ー193 バイクはyamahaの店から日本へ送ってもらいました。yamahaからは多くの援助をもらいました。

ー194 帰りの途中。タイに寄りました。自分の旅が終わることを感じました。そして、これからどうすると思ったのです。

ー195 仏様のお祭りがありました。素敵な少女が水の入った器を運んでいました。

※この旅でも私は多くの人に助けられました。本当に感謝したいと思います。特にアフリカでは各国でお世話になりました。いつか、恩返しをしたいと思っています。

 特に、ニジェールの国境事務所では、職員の男性が私にシャワーとビールを与えてくれました。砂漠の中の事務所です。

 シャワーは小枝で囲った部屋の中にバケツ一杯の水が置かれていました。貴重な水で非常にうれしかった。

*2000枚の写真を全部見たい方はこちらのブログを見てください。

 http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/2014-11-14

 

*ホームページでも旅のことを書いています。見てください。

検索欄に「玉井洋造の旅」と入力してください。見つけることができます。

 http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/

 

*この旅は本になりました。『ある時は闇の砂漠』(バイク 六大陸17万キロの旅)

立風書房 1981

 

連絡先 345-0046埼玉県北葛飾郡杉戸町高野台南5丁目4-1